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東日本大震災から9ケ月目(2011.12.11)に開催した東北復興応援チャリティー・コンサートTama・Tokyo Action~冬の章~に参加した4団体(OH!ジーンズ(主催)/エスニック・キッチンROSSA/日本の踊りを習う会)は、その後も、それぞれの音楽活動を通じて、復興応援に取り組んでいます。

OH!ジーンズと日本の踊りを習う会が、東北応援CDを作りました。
エスニック・キッチンが結成5周年を記念して、東北応援CDを作りました。
東北応援CDについてのご報告~売上金全額を「仙台つどいの家」に復興義援金として寄付しました

みちのく風景展作品①70年前の松島~松尾芭蕉もアインシュタインも見た帆掛け舟の走る風景 [★同時開催「みちのく風景展~未来への記憶」]

2011.10.20 タイトル・カテゴリー変更、写真追加
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会場にて、東北地方の災害前の思い出の写真や風景写真、災害後の写真などを有志が展示します。

約70年前の松島~帆掛け舟と島々の風景~・・・(故)畑中得三コレクションより
東北・中越・北関東の山々・・・OH!ジーンズの山男 沼下実
南東北の旅~楽器抱えて1000キロ踏破・・・OH!ジーンズ
気仙沼の現状報告(2011年6月13日の現地)・・・小金井市在住 松本浩男



<展示物ご紹介>

約70年前の松島~帆掛け舟と島々の風景~・・・(故)畑中得三コレクションより
本日の第二部オープニング曲「ドヤ節~斎太郎節」にも歌われている松島の原風景「帆掛け舟と島々」風景写真絵葉書を受付にてプレゼント

■畑中得三:
大正4年、岩手県・盛岡生まれ。本年4月、満96歳で大往生。エスニック・キッチンのサックス畑中武の父。

若い頃(戦前)から写真を趣味とし、絵が上手で、手先が器用な人でした。
定年退職後にはじめた水墨画は、岩手の山々や三陸の海などの風景写真を見ながら絵の構図を起こし、小さな作品を何点も描いた後、大作を描いていました。90歳を超えるまで描き続け、毎年、展覧会にも出展していました。

松島の写真は、父の戦前のアルバムの中に残されていたもの。年代の記載はありませんでしたが、前後の写真の年代から推定して、昭和15年前後、またはそれ以前の撮影と思われます。

CIMG1210.JPG

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遺品整理でこの写真を発見した当初は、父が撮影したものと思っていましたが、よくよく見ると、写真を趣味とする素人の写真にしてはあまりにも上手すぎます。誰かプロの手による撮影ではないかと思っていたところ、東北芸術工科大学東北文化研究センターアーカイブスの中に、同じ図柄の松島の“絵葉書”が多数あることが判明。(下記サイトを開き、「松島」で検索)

東北芸術工科大学東北文化研究センターアーカイブス:
http://www.tobunken-archives.jp/DigitalArchives/
東北芸術工科大学東北文化研究センターのHP:
http://blog.tuad.ac.jp/tobunken/

父の撮影ではないことがわかりましたが、今は地元にも残っていないらしい写真を、父は70年間も大事に保存していました。昔の非常にサイズの小さな写真ですが、極めて完成度の高い写真を余程気に入っていたのでしょう。

撮影者が誰であれ、今ではもう見ることもなくなった帆掛け舟が浮かぶ、松島の原風景を記録した貴重な写真です。

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伊勢(いせ)島と小町(こまち)島  ▼岩肌の荒い二つの島がポッカリと浮かび、なめしたような穏やかな海に島影が映って異次元的な不思議な雰囲気を醸し出しています。無風の海で、右端の帆掛け舟の中にいる人は、釣り糸をたれているのでしょうか。

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兜(かぶと)島  ▼烏帽子兜に似ていることから “兜島”と名づけられていますが、帆掛け舟の帆の形にもそっくりですね。帆に風をいっぱいにはらんだ帆掛け舟と並んで走っているようです。

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材木(ざいもく)島1.2  ▼薄い地層が重なり、木材を積み上げたように水平な縞模様が浮き出ています。左側に見えるトンネル(断層の弱い所を波が打って浸食して作り出した洞門)の部分は、昭和44年の地震で崩壊して二つに分かれてしまいました。▼下の写真には、屋形船が写っています。この日は波が少し荒いようですね。

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04-2福浦橋2.JPG
福浦(ふくうら)橋1.2  ▼福浦島と本土を結ぶ橋。昭和8年(1933年)にこの木橋が架けられるまでは舟で渡っていたそうです。この写真の撮影は昭和15年以前と推定されますので、橋が架かって間もない頃です。▼上の写真は、福浦島から本土を望むアングル。対岸に立ち並ぶ旅館などたくさんの木造建築は、みな大きくて豪華です。▼下の写真は、本土側から福浦島を望むアングル。橋を渡る人の姿が見え、橋の下を小舟がくぐっています。

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地蔵(じぞう)島1.2  ▼白亜の灯台の島。地蔵島は塩釜港の出入口にあたっていることから、大正9年にこの場所に灯台が設置されました。上の写真は絶景ポイント多門山からの景観。▼はじめ達麿島(だるまじま)と呼ばれていましたが、この近くで行方不明となった勘助(かんすけ)の供養のため島上に地蔵尊を安置してから誰いうとなく地蔵島と呼ばれるように。今回の津波で「勘助地蔵」は流出して行方不明に。下の写真の手前に写っている帆掛け舟の帆の先端の右上に勘助地蔵が見えます。

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仁王(におう)島  ▼人が座った様な形が仁王の像を思わせます。首の部分の崩落が進み、現在は人工材で補強されています。昭和15年以前に撮影されたと思われる写真の仁王島は、今よりも岩が全体的に鋭い形をしていてまさに奇岩。こういう岩に帆掛け舟で近づいて行ったら迫力あるでしょうね。

07大掛(おおがけ)島付近の島々.JPG
大掛(おおがけ)島付近の島々  ▼松ノ木に風をはらんで、帆掛け舟と一緒に走り出しそうな島々ですね。 

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五(ご)大堂(だいどう)  ▼大同2年(807)坂上田村麻呂の創建と伝えられています。後に、慈覚大師が五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるように。現在の建物は慶長九年(1604年)、仙台藩祖伊達政宗公が、瑞厳寺再建の折に紀州の大工を招請して再建したもので、東北地方現存最古の桃山建築(国重要文化財)です。大正11年、アインシュタイン博士が感激したのはこの五大堂の左上空に上った十三夜の月。

09双子島.JPG
双子(ふたご)島  ▼丸い方の島が亀島、細長い方の島が鯨島、亀と鯨が仲良く並んだ姿から双子島と呼ばれています。

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恵比寿(えびす)島  ▼帆掛け舟の右端は船頭さん、左の二人は観光客でしょうか。舟の中で立ち上がり、遠ざかって行く島を眺めています。

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馬(うま)の背(せ)  ▼濱田より見た馬の背と在城島。表松島、利府の海に突き出たその姿は天然の桟橋のよう。

■松島 ミニコラム
松島の地形 
松島は太古の昔、松島丘陵の一部が河川浸食によっていくつもの谷となり、さらに地殻変動によって海に沈降し、海面より高い部分が島として残りました。その後長い年月が凝灰岩(ぎょうかいがん)を浸食し、人工では作れぬ妙景、絶景の島々を作り上げました。
260余りの島すべてに名前がつけられています。 2007年(平成19年)、日本の地質百選に選定されました。
2011年3月11日に発生した東に本題震災とその直後に襲来した大津波によって、島の文化財の一部が破損するなどの被害が発生しましたが、周辺の自治体と比較して被害は軽微だったと聞きます。その理由として、津波は浅い海に入ると速度が落ちて急激にエネルギーを失うのと、松島湾内に点在する島々が緩衝材となり、津波の勢いを弱めたと見られているそうです。

松尾芭蕉 が「奥の細道」の旅で見た松島
芭蕉がこの地を訪れたのは、元禄2年(1689年)旧暦の5月9日(陽暦6月25日)、「松嶋は扶桑第一の好風」(日本一の景色)と絶賛。でも、俳句は残しておらず、弟子の曾良が「松嶋や鶴に身をかれほとゝぎす」と詠んでいます。「奥の細道」で芭蕉は、松島の何が美しいかを長々と書いています。その部分を司馬遼太郎の訳文(『街道をゆく』26巻)から引用。

《島々の形の妙はすべてここにある。頂を聳(そびや)かすものは天をゆびさし、伏せたる形のものは波に腹這っているようである。あるいは両島が二重(ふたえ)にかさなり、三島が三重(みえ)にかさなって、見るうちに両島が左へ別かれたり、三島が右につらなったりする。一島が他の一島を背負っているような形もあり、また大きな島が小さな島を抱いているようでもあって、小さな子供たちをいつくしんでいるようである》

アインシュタイン が感激した松島の月
あのアインシュタイン博士が来日し、松島を訪れたのは大正11年(1922年)12月3日。
その時程は:(『松島町史』通史編より参照)
▼東北本線・仙台駅下り15:05発―松島駅着15:40分頃―松島電車(路面電車)下り15:50発―高城駅経由―松島五大堂前―松島ホテルで休息―白鴎楼から月を観る―瑞巌寺を見学 
▼松島電車上り17:50分発―松島駅着―東北本線松島駅上り18:54発―仙台駅着19:30分頃 
                   
滞在は、松島の月を見るために、夕闇迫る松島にたった2時間だけでしたが、大変な感動ぶりだったようです。
博士は、当時の松島駅から乗り換えて高城川沿いを走る「松島電車」で五大堂前までやって来ました。
松島ホテルで休憩した後、最も高い場所にある白鴎楼の四阿(あずまや)から、冬の寒風に耐えながら五大堂の左上空に上った月を見たといいます。そして、「おー月が、おー月が」と感嘆の声を放ち、微動だにしなかったそうです。
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コメント 6

rtfk

実に素晴らしい、重みのある、貴重な写真ですね。。。
大事になさって下さい(^w^)
by rtfk (2011-10-15 22:41) 

お水番

rtfkさん、ありがとうございます。
12/11のコンサートの時に、会場に展示することにしました。
真姿の泉TODAYのブログのほうにのせた写真について、NHKの新日本風土記という番組を制作してる会社から問い合わせがあり、画像を提供しました。

by お水番 (2011-10-15 22:53) 

urara☆

ホントに、価値のある素晴らしい写真を見せて頂きました♪
帆掛け舟が入っていると、また一段と、今は亡き当時の素晴らしい情緒が感じられますね~!
by urara☆ (2011-10-17 12:26) 

お水番

urara☆さん、ありがとうございます。
松尾芭蕉も塩釜港から松島に行くのに、帆掛け舟に乗ったそうです。
やっぱり松島には、いまどきの遊覧船よりも帆掛け舟が似合いますねえ。
by お水番 (2011-10-17 13:32) 

リン

映画のワンシーンのような、素敵な写真ですね!
昔、カメラは高級品だから、うちの父なんかは家族写真しか取っていないんですけど、もっと風景も取ってくれていたらな~とも思っちゃいます。
by リン (2011-10-21 07:46) 

お水番

リンさん、お父様も写真好きでいらしたんですね。松島の写真は、義父が撮ったものではなく、どうやら、観光地で生写真として売っていたものをコレクションしていたみたいですが、アルバムの中にはたくさんの写真が残されていました。やっぱり、家族写真が多いですよ。
私の父も写真好きでした。
私の子どもの時の記憶は、写真を見ることで繋がっているような気がします。

by お水番 (2011-10-21 13:08) 

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